山田幸代のhappy対談

Happy対談は、プロラクロスプレイヤー山田幸代がアスリートとして大切にしていることを発信するプラットフォームです。スポーツ界で活躍されている方々にフォーカスし、生き方やHappy哲学について対談を行い、スポーツを通して世の中をどのようにHappyにするかをアスリートと共に考え、発信していきます。

Vol.10

陸上競技の中でも過酷な十種競技で、東京オリンピック2020への出場を目指している、右代啓欣選手。目標である日本記録保持者の兄、啓祐の元を離れ、新たなトレーニング環境へと飛び出した右代さんの思いに、山田幸代が迫りました。

Profile

山田 幸代 (やまだ さちよ)
プロラクロスプレイヤー

1982年生まれ。滋賀県出身。日本初のプロラクロッサー。2007年9月にプロ宣言し、2008年から女子ラクロス界では世界トップクラスのオーストラリアリーグに加入。2016年12月、念願のオーストラリア代表に選出され、2017ワールドカップ、2017ワールドゲームズに出場。ワールドゲームズでは銅メダルを獲得。2013年4月から2018年まで母校・京都産業大学の広報大使、2014年12月から京都国際観光大使を務める。

右代 啓欣(うしろ ひろよし)
陸上十種競技選手

1994年生まれ。北海道出身。中学生から陸上を始める。東京高等学校を経て、国士舘大学に進学。在学中は、関東学生陸上競技対校選手権大会で優勝、日本陸上競技選手権大会混成に初出場で11位、日本学生陸上競技対校選手権大会3位の成績を収める。

十種競技に必要な身体能力

山田:右代さんは、いつから十種競技を始められたんですか?

右代:中学から始めました。中学生はまだ体力的にも厳しいので四種競技なんですが、そのときすでに、日本だけではなく世界でも活躍していた兄のような選手になりたいと思ったのがきっかけです。高校に入って八種競技、それから十種競技と、兄を追いかけて同じ道を進んできました。

山田:十種競技って、アスリートの中のアスリートにしかできないような種目ばかりで、全ての運動能力に長けていないと頂点に立てないですよね。基礎の部分では、持久力や瞬発力が必要なんでしょうか?

右代:大きく分けて、走る、跳ぶ、投げるの3つの能力を兼ね備える必要があります。投てき種目では、体重の重さや筋力の強さを求められますが、跳躍には体が軽い方がいいですし、筋肉の量と質どちらも大事で、トレーニング方法で苦労しますね。

山田:特に一番大事な筋肉はどこなんでしょう。

右代:どこが一番というより、やっぱりバランスですね。投てき種目があるから体を大きくする、だけど跳躍があるから軽くないといけない、矛盾だらけの競技なんです。その中で、いかにバランスのいい体をつくり上げるかが大事です。
日本の競技者は、それぞれに得意、不得意の種目が必ずあるんですが、世界で戦う選手に苦手な種目はないんです。だからこそ世界で戦える。そこを突き詰めるために、どうやって筋肉の質を高めていくか、体づくりのマネジメントが重要な競技です。

監督に認められる選手を目指して

山田:お兄様がオリンピック選手だと、メリットもデメリットもあると思うんですが、右代さんの中ではどちらの方が大きいですか?

右代:メリットの方が大きいです。世界で活躍している選手が家族にいるって、なかなかないですよね。競技への取り組み方や姿勢、食事や休養の取り方など、どうすれば世界で戦える選手になれるのか、日常生活全てを間近で見られるという面でメリットを感じています。デメリットは、自分も同じような選手だと期待されることですかね。

山田:私は、「子どもたちにラクロスを伝えたい。そのためにプロになる」と思ったとき、日本にプロのラクロスプレーヤーがいないなら、その環境を自分で作ってしまおうと思いました。私にとってプロ選手がいなかったことはメリットで、失敗しても別の方法を見つけてやり直せばいいだけなんです。でも、手本となる人がいないのはデメリットでもあって、プロとしての体づくりを学ぶために、他競技のアスリートや友だちに聞いて、それを一つ一つ試す時間がたくさん必要でした。だから、ラクロスを始めてからずっと目標にしてきた、ワールカップ出場までに約10年かかってしまったんですけれど。
十種競技の得意な種目、不得意な種目のどこに重きを置いてトレーニングするかもお兄様を手本にされたんですか?

右代:十種競技を始めたばかりの頃は、高校の八種競技から新しい種目が2つ増えたこともあって、優勝争いができるような選手ではなかったので、できるだけ兄と一緒に過ごす時間を作って、トレーニングも含めて一から全て吸収しようしました。でも、どうしてもついてまわる「右代の弟」というのがコンプレックスで、「右代啓欣」のことをみんなに知ってもらうために兄の元から離れました。いろいろな練習拠点をまわりながら、たくさんの人と出会って、トレーニングをして、教えてもらってという環境を自分で作っています。

山田:今日は、そのことを一番伺いたかったんです。世界での勝ち方を知っていて、そのためのトレーニング方法も分かっている、お兄様の側という整った環境から飛び出されたのは、コンプレックスがきっかけだったんですね。
私が、二度と日本代表には戻れないと分かっていながら、オーストラリア代表を目指したのは、世界のトップ3に入る国のラクロスを自分の目で見て、経験したことを、指揮官として日本のために使いたいと思ったからなんです。日本を出るとき私は、「日本を強くするためにオーストラリア代表になるんだ」と自分自身に誓いました。右代さんは飛び出すとき、何を誓いましたか?

右代:自分は、国士舘大学の監督にとても思い入れがあります。北海道の高校で何となく陸上をしていた自分を、東京に連れて来ていただいて以来ずっとお世話になっていて、監督に認めてもらいたい一心で競技を続けてきました。自分のためでも、応援してくれている家族のためでもなくて、監督に認めてもらいたいんです。
大学にいても自分を甘やかすだけ。強くなるには、あえて整った練習環境を離れて学びたい、それが強くなる近道だと思いました。「監督に認めてもらえる選手になって帰ってくる」が、飛び出したときの誓いです。

山田:すごい決断ですね。大学を離れると伝えたとき、監督は何ておっしゃったんですか?

右代:いつも否定しかしなかった監督が、そのとき初めて、「俺もそう思う」と言ってくださって、自分の思いを応援してくれているんだと感じました。

頭の中のオオカミ

山田:2019年に大腸がんの手術と治療からカムバックした、阪神タイガースの原口文仁選手と、彼が育成選手時代からずっとシーズンオフの間、一緒にトレーニングをしていたんです。他の野球選手やプロゴルファーもいたんですが、メニューが終わっても、いつも彼と私はさらに30分くらい残ってトレーニングしていました。そのとき彼が、「体を休めているときでも野球のビデオを観たり、何かしら野球について考えているのがプロだ」と、毎日10分でもプロとしての活動を続けることを大事にしていると言っていました。 同じように、アスリートにはそれぞれ絶対的な思いがあると思うんですが、右代さんはいかがですか。

右代:原口選手のような格好いいことではないんですが、自分の能力、可能性を信じることを大切にしています。「これで終わらない。まだ強くなれる」と分かっているから競技を続けているし、目標に向かって取り組んでいます。自分の能力を信じない限り競技は続けられないし、強くなれないと思っています。

山田:それって大事なことですよね。オーストラリアのメンタルトレーニングで、「頭の中にはオオカミが2匹いる。1匹は痩せて今にも倒れそうな弱いオオカミ。もう1匹は勇敢で、ポジティブで、自分はできると思っている。迷ったとき、あなたはどっちのオオカミに餌を与えますか」という話をよくされました。辛いときにさぼろうか、それとも頑張ろうかと考えたとき、常に強いオオカミに餌を与えられるようになるまで、頭を成長させなさいと言われました。
自分の能力を信じることは、いつも強いオオカミに餌を与えているということ。だから右代さんは、次のステップへと成長し続けられるんだと思います。

右代:もちろん、不安になったり、弱気になったりすることはありますが、弱気になっても何も生まれないので、すぐにリセットして必ず100%の自信を持って取り組みます。恥ずかしいんですが、無意識のうちに自分が優勝した瞬間をイメージしてしまうんですよ。手を上げて、勝利の雄叫びをあげているところを。

山田:自分の中でそういうイメージが湧き上がるのって、競技が大好きで、イメージしているとハッピーになるからですよね。落ち込んだときはどうされていますか?

右代:試合で結果が出なかったときは、高校の恩師に電話します。そうすると喝を入れてもらえて、気持ちをリセットできます。

山田:恩師に言われて、印象に残っている言葉は何でしょう。

右代:「一度でいいから本気出してくれ」ですね(笑)。

アスリートを取り巻く環境の違い

山田:右代さんにとって、オリンピックはどのような大会でしょうか。

右代:出場した兄を応援しに行った2012年のロンドンオリンピックで、今でも忘れられない光景が、選手がそれぞれ他国の選手を応援していたことです。それって、スポーツで最高峰の大会であるオリンピックだからできることで、「この場で自分も戦いたい。こういう環境でプレーしたい」と思ったんです。兄と、「一緒にオリンピックに出よう」とロンドンで約束しました。

山田:海外の選手って、スポーツに対する意識がめちゃくちゃ高いですよね。今日お話をしていて、右代さんもアスリートとしての意識が高いと思ったんですが、ロンドンで感じた日本と海外の違いって何かありましたか?

右代:アスリートに対する周囲の評価が高いと感じました。日本でも、もう少しアスリートに対するリスペクトがほしいですね。日本でマイナースポーツと言われる競技があるのは、国内での試合数が少ないからだと思います。同じ競技でも海外では国内大会の数が多いので、選手が自分の能力やキャラクターを出せて、リスペクトされる機会がたくさんあります。日本も同じような環境になれば、マイナースポーツという言葉はなくなるんじゃないでしょうか。
試合に向けてモチベーションを高めていく状態が増えますし、そうするとアスリートとしての意識や姿勢、取り組み方が変わり、世界で戦える強い選手が生まれると思います。

山田:第4回に出演していただいたセパタクローの内藤選手と、アスリート自身がマイナースポーツと思ったら駄目だし、そこをブレークスルーしなくてはという話をしました。アスリートのいろいろな声がこの『Happy対談』を通じて広がっていくことで、見る側の意識が選手へのサポート、リスペクトに変わって、選手と観客が一体感を持てるようになったらいいなと思っています。

誰かに影響を与える人に

山田:今後のチャレンジについて聞かせてください。

右代:まずは、監督に認めてもらうことと、東京オリンピックに出場すること。あとは、誰かに何かを与えられる人間になることです。今まで自分は、与えてもらってばかりでした。今は、たくさんの人と出会って影響を受け、いろいろな経験をさせてもらっていることで競技を続けられているし、人として成長できていると日々感じています。自分も、他のアスリートに影響を与えるような人間になることが、最終的な目標というかチャレンジですね。

山田:素晴らしいですね。その思いに共感します。
では最後に、ご自身のハッピーゾーンについて教えてください。

右代:自分は、常にワクワクしていたいんです。人間ってたぶん、死ぬまで成長していけるというか、成長が完了することってないと思います。だから勝利した瞬間よりも、自分はまだ強くなれる、アスリートとしても人間としても、自分の可能性は無限大だと感じてワクワクする瞬間がハッピーゾーンですね。

山田:いいですね!私は最近、コーチとしてのハッピーゾーンが出てきました。プレー中に選手たちの成長を見たとき、自分も成長していることに気づいたんです。選手に伝えながら自分まで成長できていることが、新しいハッピーの発見でした。これってプレイングコーチだからこそ感じられることで、それが今の私のハッピーゾーンです。

右代:こうして最前線で活躍されている方にお会いすると、刺激をもらえて競技に取り組む姿勢も変化します。ありがとうございます。

山田:こちらこそ、ありがとうございます。全力で応援しますので、東京オリンピック出場目指して頑張ってください!

Message

今回は、初めて右代啓欣選手から十種競技のお話を伺いました。
スポーツ競技の中でも一番と言っていいほど、過酷なスポーツなのではないかと思います。しかし、右代選手は素敵な笑顔で、十種競技の楽しさを語ってくださったことがとても印象的です。
目指す先に夢があり、身近にはライバルがいる。その環境を楽しんでいらっしゃるように感じました。これからもっともっと、右代選手は飛躍していかれるんだと確信できた瞬間だったと思います。今後の右代選手からも目が離せません。
素晴らしいお話をありがとうございました。

プロラクロスプレイヤー 山田 幸代


今まで、陸上競技以外の選手と情熱的な対談をしたことがなかったので、山田幸代さんがどのような想いや目的を持って競技に取り組まれているのか、とても興味がありました。「子どもたちにラクロスを伝えたい」という想いで厳しい環境の中プロを目指し、やり遂げたことが素晴らしいです。日本を代表する身体能力がある選手でも、自己管理能力も備わっている選手はほとんどいないのではないでしょうか。山田さんのあの堂々とした人柄は、これまでのラクロス人生を物語っているように感じます。競技に誇りを持ち、自分がどうにかしなきゃいけないという責任感を自ら背負い、変えたい欲が実際に行動できたからこそ、今の日本のラクロスが確立されたのだなと思いました。
同じアスリートとしてリスペクトしたい存在ですし、競技に対する気持ちにも火が付きましたね。自分の中のスポーツの世界が広がったというか、もっと他のスポーツのことも知りたいと思いましたし、改めて自分の出来ることや考えを見つめ直すきっかけになりました。
十種競技の知名度を上げたいと思うだけではなく、山田さんのように確実に行動していきたいです。人に何かを感じさせられることができる山田さん、流石レジェンド。私も与えられる人から、与える人へシフトチェンジしていきます。
たくさんの学びをありがとうございました。

陸上十種競技選手 右代 啓欣

地上最速球技といわれるラクロス。棒の先にネットを張ったスティックを操り、直径6cm、重さ150gの硬いゴムボールを奪い合う競技。特 に男子は激しく相手を叩き合い、接触も激しくその迫力に驚かされる。戦略的なパスワークを生かし、シュートにつなげるチームプレイはサッカーにも似ている。今、2028年のロサンゼルスオリンピックに向けたラクロス普及活動が広まり、 ラクロス人口が日本でも増えつつある。

ラクロスの歴史

ラクロスの始まりは、北 米の先 住民が神聖な儀式として部族間の争いを平和的に解決するもの、競技を通して若者の勇気や忍耐力を鍛えるものとして行わ れていた。19世紀にカナダで新しいラクロスのルールが作られ、その後カナダの国技に認定。男子の競技として広まった後、スコットランドで女子ラクロスが始 まり、ラクロスが世界的に広がっていった。

ルール紹介(2018年現在)

男子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • ヘルメッドなどの防具を着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイが可能

女子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • アイガードやマウスピースを着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイは不可
  • 試合開始や再開時はドローという方法をとる

人とつながること、それが不動産業。
人から人へ、架け橋となるような仕事をしたい。
BIRTH代表 / 株式会社髙木ビル代表取締役 髙木秀邦

BIRTH BIRTH

2020年2月 BIRTH AZABU-JUBAN(麻布十番髙木ビル8F)にて
Supported by BIRTH 企画・編集:杉山大輔 
ライター:楠田尚美 撮影:稲垣茜

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