山田幸代のhappy対談

Happy対談は、プロラクロスプレイヤー山田幸代がアスリートとして大切にしていることを発信するプラットフォームです。スポーツ界で活躍されている方々にフォーカスし、生き方やHappy哲学について対談を行い、スポーツを通して世の中をどのようにHappyにするかをアスリートと共に考え、発信していきます。

Vol.8

第8回の対談相手は元プロ野球選手の斉藤和巳さん。現役時代は「負けないエース」の異名で呼ばれ、190㎝の長身から繰り出される剛速球と、気迫溢れる雄姿は多くのファンを魅了しました。山田幸代とはかねてから交流があり15年来の仲。旧知のアスリート同士が対話することで、新たなハッピーゾーンが生まれたようです。

Profile

山田 幸代 (やまだ さちよ)
プロラクロスプレイヤー

1982年生まれ。滋賀県出身。日本初のプロラクロスプレイヤー。2007年9月にプロ宣言し、2008年から女子ラクロス界では世界トップクラスのオーストラリアリーグに加入。2016年12月、念願のオーストラリア代表に選出され、2017ワールドカップ、2017ワールドゲームズに出場。ワールドゲームズでは銅メダルを獲得。2013年4月から母校・京都産業大学の広報大使、2014年12月から京都国際観光大使を務めている。

斉藤 和巳(さいとう かずみ)
元プロ野球選手、野球解説者

1977年生まれ。京都府出身。1995年、福岡ダイエーホークスにドラフト1位で入団。背番号66、右投げ右打ち。150㎞超えのストレートと2種類のフォークを武器に、沢村賞2回、最多勝2回、最優秀防御率2回、最多奪三振1回など数々のタイトルを獲得し、球界を代表する先発投手として活躍。2012年7月31日、肩の故障のため引退。

この試合に懸ける思いは
ほかの誰にも負けない

山田:私、斉藤さんのことが大好きです。絵に描いたような一球入魂。2006年のプレーオフで奮闘空しく負けてしまったとき、泣き崩れて両脇を抱えられながらグラウンドを去っていくシーンがとても印象的で、こんなに格好いい野球選手がいるんだと衝撃を受けました。全力投球されていた現役時代、これだけは誰にも譲らなかったことはありましたか?

斉藤:一試合一試合、選手はみんな全力を出して真剣にやっていたから、それが普通だと思うけれど、僕の中では、この一試合に懸ける強い思いなら、誰にも負けへんぞという自信がありました。試合の3日前には試合のシミュレーションを始めているし、試合当日はトイレに閉じこもって、頭の中で1試合完投してからグラウンドに出るということをずっとやっていました。

山田:斉藤さんとは長いお付き合いで、私が初めてオーストラリアリーグにチャレンジする前からお世話になっています。記憶に鮮明に残っているのは、2008年頃、「ルーティンを作りたいのですが、アドバイスをください」と相談したとき、一生懸命、親身になって考えてくださり、ご自身のことだけではなく相手のことにも情熱をかけて理解してくれる方なんだと感激しました。

斉藤:スタンスは自分に対しても、他人に対しても一緒。誰かに頼られたら、自分ができる最高のことを相手に伝えれば、自分の今までの限界以上のことができるようになるかもしれない。誰かに相談するときって、すごく困っていたり弱っていたりするでしょ。辛いときは持ちつ持たれつなんじゃないかな。

山田:しかも「見ないと分からへん」と言って、私がやっているラクロスのイベントにわざわざ来てくれて、3時間くらいずっと見て、さらには一緒にやろうとしてくださって、驚きました。そうやって人を理解しようとしてくれていることに感動しましたし、感謝の気持ちで一杯でした。そのとき頂いたアドバイスは、今でも役に立っています。

斉藤:初めて幸がユニフォームでラクロスをしている姿を見て、やっぱり格好いいなって。男女問わず、アスリートってユニフォーム姿でフィールドにいるときが最高に格好いいでしょ。見に行って良かった。それに、ラクロスというスポーツを知ることができたのも収穫。こんなに激しい競技なんやっていうのを、僕は全然知らなかったので。

大エース時代の肩の故障
リハビリ生活を支えた思いとは

山田:その後、肩を故障されましたよね。大変なけがでした。

斉藤:僕はね、現役生活はそれほど長くない。2007年のシーズン中に右肩の痛みで降板して、オフに右肩腱板修復手術。翌年はリハビリで一度も登板できなかった。2009年11月に腱板損傷が発覚して、医師から手術を勧められたけど、翌年には復帰したかったから、あえて手術は受けずに、リハビリを続行。それでもなかなか状態が良くならなくて、結局、2010年2月に右肩腱板を修復する手術を受けた。
2010年のシーズン後半にはキャッチボールもできない状態で、3年間も働いていなかったから、翌年からはリハビリ担当コーチという身分で再起に向けて頑張ることになった。よくある選手兼コーチじゃなくて、一度引退した上でコーチになり、回復したら現役復帰をするということ。肩書きはコーチでも誰かを指導するわけじゃなくて、自分のペースでリハビリをしていいよと。球団にはただただ感謝するしかない。

山田:私も経験があるのですが、けがしたときって自分を奮い立たせることが必要じゃないですか。これがあったから立ち上がれた、奮起できたという目標や心の支えはありましたか?

斉藤:入団して間もない頃、まだ一勝もしていないときに最初の手術を受けたんだけれど、まだけがに関して無知だったからか、治療をやらされているという感覚。確かにクビを覚悟で自分なりに必死にやっていたけれど、ただ医師や周囲にいわれたことをやるしかなった。そのとき初めて大好きな野球を奪われるのは嫌だという感情が芽生えた。2回目、3回目の手術になると、1回目とやることは一緒なのに、自分から手術を受けようと決めた。誰かに手術をしろと強制されているわけでもない。術後のリハビリはしんどいよ。右肩上がりに回復してきたかと思ったら、もう少しのところで3歩も4歩も後退。そんなことを何度も繰り返すから。

そういうとき、無理に前に進まないようにした。辛いなら野球をやめればいいのに、なぜ手術をするのか、なぜリハビリを続けるのか自問自答する。答えは簡単。もう一回投げたい、マウンドに立ちたい、チームの戦力になって、一つの勝ちをみんなで喜び合いたい、ファンのみんなに喜んでもらいたいという思いしかなかった。この気持ちがなかったら、絶対に耐えられなかったんじゃないかな。僕はそんなに強い人間じゃないので(笑)。結果、6年やって現役復帰はできなかったけれど、6年続いたのは、ひたすらその思いを叶えたいという願いがあったから。球団がその時間を作ってくれたことに感謝しているし、その時間がなかったら今の僕だって存在していないはず。

勝ち負け以上に大事なことは
人の心を動かす野球をすること

山田:現役生活は長くなかったとおっしゃいましたが、2003年、2006年と2回も沢村賞を受賞されているのはすごいことですよ。3日前から気持ちを準備する、トイレにこもって1試合頭の中で終わらせてからマウンドに立つ。そうやって現状打破の方策を導き出そうとする、前向きなマインドセットが成功に繋がっていると思うのですが。

斉藤:繋がっていると思うよ。野球以外の時間も全部野球に繋げたほうが、全てにおいて意味のある時間が過ごせる。本気で競争相手より上に行きたいなら、野球と私生活を分けているようじゃ時間が足りない。シーズン中はグラウンドでの練習も、ウエイトトレーニングもせいぜい3、4時間でしょ。1日24時間のうち睡眠が8時間としたら、残りは12時間。誰にでも平等なこの12時間をどう有意義に過ごすかで、結果が全然変わってくる。

山田:それは、アスリート全てが学ぶべき姿勢ですね。でも、それに気が付くことが難しい。24時間をどう使うかを追求した方って、そこまでいないと思います。

斉藤:そうかな。世の中、すごい人はいっぱいいるでしょ。

山田:沢村賞を2回も取る方は、そうそういませんって(笑)。プロフェッショナルとして大事にされていたことってありますか?

斉藤:勝ち負けにこだわるだけじゃ駄目。アマチュアだって勝ち負けはあるけれど、僕はプロフェッショナル。初めは勝つことしか頭になくても仕方ない。実績を作って、自分の居場所を作っていかないと生き残れないから。でも、僕がそうやって自分の居場所を作って、次のステップに進もうとしたとき、実は勝ち負けはそんなに求められてないって気が付いた。

自分で言うのも何だけれど、当時、「斉藤が投げたら勝つ。負けはない」というイメージができていた。勝って当たり前だから、そこに驚きや喜びはない。そんな僕でも負けることがないわけじゃない。負けたとしてもどう見せるかが大事になってくる。お客さんが僕の投げる姿を見て、「今日は来て良かった」「野球は楽しいな」「また来たい」と思ってもらえるのがプロフェッショナル。お客さんに足を運んでもらってお金を頂いている以上、大事にしなくてはならないこと。人の心を動かすことは、試合に勝つより難しい。

山田:自分に常に厳しく向き合いながら、次のステージに挑戦され続けているんですね。メンタルトレーニングなどは取り入れられていましたか。

斉藤:結果が残せるようになる前に、徹底的に自己分析はした。自分のピッチングスタイル、試合内容も含めて、今までの失敗経験を全部、自分の記憶の中から洗いざらい出していく。そこから自分の長所、短所を一つ一つ明確にする。長所を伸ばすために邪魔をする短所があれば、それを潰していかないといけないことに気付ける。勇気を持って、短所に目を向けて、どうやったら長所に変えていけるか、どうやってなくせるか、毎日そんなことの連続。メンタルコーチの講習を受けたこともあるけれど、正直何も入ってこなかった(笑)。確信したのは、自分にとっての一番のメンタルコーチは自分ということ。僕のことを僕より知っている人、絶対おらんし(笑)。

語り合うことで見つけられた
新たなハッピーゾーンとは

山田:最後の質問です。斎藤さんの野球人生の中で、ここは光り輝いていた、一番幸せを感じたというハッピーゾーンはどんな場面でしたか?

斉藤:2003年に優勝した瞬間は、涙が出たね。42年間生きてきて、嬉し涙を流したのはその一度きり。あんな涙を流すことは、この先死ぬまでないんじゃないかと思うくらい、あの瞬間は忘れられない。
6年間のリハビリが終わって引退が決まった後、裏方さん、一軍、二軍、三軍のみんな、リハビリに携わってくれた方、何十人もの人たちがお金を出し合って、サプライズで僕の送別会を開いてくれた喜びって、優勝したときの喜びとは別の嬉しさというか。リハビリを続けていた数年間、正直に言うと、みんなに自分の気持ちが伝わっているのか、みんなにどう思われているのか不安でいっぱいだった。でも、みんなが僕のためにお金と時間と手間をかけて送別会をしてくれたあのとき、そんな不安が全て喜びに変わったから。

山田:素晴らしいハッピーゾーンですね。この『Happy対談』では、私自身のハッピーゾーンをアップグレードしているんです。みなさんのお話を伺って学んだことが、今まで経験してきたハッピーゾーンに、もう一度立ち返らせてくれます。私のこれまでのハッピーゾーンは「点」の存在で、まだ「線」になっていないんです。私は今、これまでにないもの、新しいことをゼロから作り上げようとしています。これまでの17年間はずっと、ラクロスを通して「点」を作り続けていく作業。それが今日、斉藤さんとの対談で、隣同士の「点」がどんどん繋がって「線」になりつつある瞬間を感じています。

斉藤:最高だね、それ。

山田:オリンピックへの挑戦のように、打ち続けた「点」を次に繋いで「線」にできることを見つけた瞬間や、「線」になるかもと期待を抱いた瞬間ってハッピーで楽しい。今日、斉藤さんのお話を伺って、私はこの「点」を「線」にしていかなくてはいけないんだと気付くことができました。新しいハッピーゾーンが増えました。ありがとうございます。

斉藤:幸はすごいな。やっぱり頑張り屋さんだ。幸が「点」を打ち続けているのを、僕は見てきたから。それがちょっとでも「線」になる瞬間を感じられるようになったっていうのを聞いて安心した。それを聞けただけでも、今日は幸せな時間です。ああ、泣きそうや(笑)。

山田:私も泣きそうです。

Message

今回、ずっと尊敬している斉藤和巳さんと対談できたことは本当にうれしく、たくさんの学びがありました。
和巳さんにはプロになったときからずっと、たくさんのアドバイスをいただいていて、自分が進む道を迷ったときも、背中を押していただいた一人です。
和巳さんの覚悟、周りの人への感謝の気持ちが言葉から強く伝わってきて、「やっぱり、かっこいいな!」「こういうスポーツヒューマンになりたいな!」そう感じました。
これからもいろいろ相談し、学ばせていただきたいと思います。和巳さんは本日の対談から、さらにアップグレードされていかれるんだろうと楽しみで仕方ありません。今後ともよろしくお願いいたします。

プロラクロスプレイヤー 山田 幸代


幸とはもう15年以上の付き合い。ラクロス界初のプロ選手になったときから見てきましたが、幸のラクロス愛の深さ、ラクロスを普及させるための努力にはすさまじいものを感じていました。今回初めて一緒に仕事をしましたが、いつも以上に刺激をもらえたこと、山田幸代の違う一面を知ることができたこと、全ての時間が有意義で勉強させられることばかりでした。今後の自分の生き方に、必ず役に立つ瞬間があるはずと思えた時間でした。幸!有難う!

元プロ野球選手、野球解説者 斉藤 和巳

地上最速球技といわれるラクロス。棒の先にネットを張ったスティックを操り、直径6cm、重さ150gの硬いゴムボールを奪い合う競技。特 に男子は激しく相手を叩き合い、接触も激しくその迫力に驚かされる。戦略的なパスワークを生かし、シュートにつなげるチームプレイはサッカーにも似ている。今、2028年のロサンゼルスオリンピックに向けたラクロス普及活動が広まり、 ラクロス人口が日本でも増えつつある。

ラクロスの歴史

ラクロスの始まりは、北 米の先 住民が神聖な儀式として部族間の争いを平和的に解決するもの、競技を通して若者の勇気や忍耐力を鍛えるものとして行わ れていた。19世紀にカナダで新しいラクロスのルールが作られ、その後カナダの国技に認定。男子の競技として広まった後、スコットランドで女子ラクロスが始 まり、ラクロスが世界的に広がっていった。

ルール紹介(2018年現在)

男子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • ヘルメッドなどの防具を着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイが可能

女子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • アイガードやマウスピースを着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイは不可
  • 試合開始や再開時はドローという方法をとる

人とつながること、それが不動産業。
人から人へ、架け橋となるような仕事をしたい。
BIRTH代表 / 株式会社髙木ビル代表取締役 髙木秀邦

BIRTH BIRTH

2020年2月 BIRTH AZABU-JUBAN(麻布十番髙木ビル8F)にて
Supported by BIRTH 企画・編集:杉山大輔 
ライター:朝比奈美保 撮影:稲垣茜

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