山田幸代のhappy対談

Happy対談は、プロラクロスプレイヤー山田幸代がアスリートとして大切にしていることを発信するプラットフォームです。スポーツ界で活躍されている方々にフォーカスし、生き方やHappy哲学について対談を行い、スポーツを通して世の中をどのようにHappyにするかをアスリートと共に考え、発信していきます。

Vol.4

大学からセパタクローに転向し、日本代表として活躍している内藤利貴選手をゲストにお迎えした第4回。日本ではまだあまり知られていないセパタクローですが、山田幸代と同じく、「将来、セパタクロー選手になりたいと言ってくれる子どもを増やしたい」と話します。日本での普及を目指す2人が、お互いの夢を語り合いました。

Profile

山田 幸代 (やまだ さちよ)
プロラクロスプレイヤー

1982年生まれ。滋賀県出身。日本初のプロラクロッサー。2007年9月にプロ宣言し、2008年から女子ラクロス界では世界トップクラスのオーストラリアリーグに加入。2016年12月、念願のオーストラリア代表に選出され、2017ワールドカップ、2017ワールドゲームズに出場。ワールドゲームズでは銅メダルを獲得。2013年4月から母校・京都産業大学の広報大使、2014年12月から京都国際観光大使を務めている。

内藤 利貴(ないとう としたか)
セパタクロープレイヤー

1994年生まれ。神奈川県出身。A.S.WAKABA所属。アタッカー。日本体育大学在学中の2014年日本代表に初招集され、韓国・仁川で開催された第17回アジア競技大会に出場する。2016年、全日本セパタクロー選手権大会で優勝。2017年、世界ダブルス選手権にて銅メダル獲得。2018年の第18回アジア競技大会では、クワッド種目で銀メダル、ダブルス種目で銅メダルを獲得した。日本セパタクロー協会指定、日本代表強化選手。

タイとマレーシアの国技

山田:今日はまず、セパタクローがどんなスポーツか教えていただけますか?

内藤:「足でするバレーボール」というのが一番イメージしやすいと思います。ルールもほぼ一緒で、3タッチ以内にボールを相手のコートに返します。バレーボールと違って1人で3回触ってもいいんです。サッカーのオーバーヘッドキックのようなアタックや、アクロバティックなプレーが多いので「リアル少林サッカー」と呼ばれることもあります。 2人制、3人制があって、味方が投げたボールを、コートの中央辺りから足を高く上げてサーブを打って試合がスタートします。手や腕は使ってはいけませんが、頭を使っても、背中に当たっても大丈夫です。

山田:バレーボールと同じラリーポイント制ですか?試合時間はどのくらいなんでしょう。

内藤:サーブ権は3本ずつで交代します。点が取れても取れなくても3回サーブを打ちます。21点1セットの2セット先取で、1試合40分くらいで終わってしまうこともあります。

山田:ボールを蹴って体から落ちるとき、とても痛そうに見えますが。

内藤:ゴム製のマットを敷いていますが、もちろん痛いです(笑)。

山田:セパタクローって、確か2つの言葉がつながっているんですよね。

内藤:はい。マレーシア語で「蹴る」という意味のセパと、タイ語で「籐のボール」という意味のタクローが一緒になった言葉です。

山田:日本に入ってきてからどのくらい経ちますか?

内藤:40年弱くらいだと思います。1989年に日本体育協会主催の国際スポーツフェアで、タイ、マレーシア、インドネシア、シンガポールの4ヶ国を招待してのセパタクロー国際大会が日本で開催されました。これを機に日本セパタクロー協会が設立され、ちょうど今年30周年を迎えました。競技人口はまだ少なくて、協会に登録している人は約2,000人です。

山田:ラクロスの競技人口は公式には約2万人、協会に登録していない人たちも合わせると約3万人います。元々は北米の先住民族が、部族間抗争の平和的な解決のために始めたものなんですが、セパタクローの起源についてはご存知ですか?

内藤:タイとマレーシアでは国技なので、そのどちらかが発祥だと思いますが、はっきりとしたことは分かりません。タイでは学校の授業に組み込まれていたり、公園で遊んでいる子どもをよく見かけますし、特待生制度もあって子どもたち憧れのスポーツです。

選手として試合に出るための転向

山田:ラクロスをやられたことがあるそうですが、やってみていかがでしたか?

内藤:めちゃくちゃ早いスポーツだと思いました。あんなに小さなボールを、よく見失わずに追えますね。僕なんか、今どこにボールがあるのか分からなくなって。

山田:ボールが重いのでスピードが出るんです。私のシュートで120㎞くらい、男子の早い人で190㎞出ます。「フィールド最速の格闘球技」と言われるほど激しくて、スピーディーなのが特徴ですね。セパタクローのアタックはどのくらいのスピードが出るんですか?

内藤:ボールがバウンドしてから計測するので80㎞程度ですが、体感速度は140㎞くらいですね。初速が早いのと、床に落ちるまでの距離が短いので、気づいたらもう、みたいなことがあります(笑)。

山田:私は中学、高校とバスケットボールをしていて、大学に入ってからラクロスを始めたんですが、内藤さんもセパタクローを始められたのは大学からで、それまではサッカーをされていたんですよね。

内藤:父の影響で小さいときからサッカーを始めて、ポジションはキーパーでした。大学でもサッカーをやろうと思って練習会に参加したんですが、僕はキーパーとしてはかなり小柄で、周りは県の選抜やクラブチームにいた人ばかり。何軍もあって、下の方は朝しかグラウンドを使えないといった話も聞いて、この中ではたぶん試合には出られないだろうと思いました。
でも、試合には絶対に出たいという気持ちがあったので、出られないならいっそ他の競技をやろうと思っていたとき、たまたまセパタクローのクラブ活動の勧誘でボールを蹴らせてもらったんです。そうしたらサッカーに似ているし、キーパーをしていたので飛んで落ちるのにも慣れているしと、ビビッときて決めました。

山田:決断、早かったですね。

内藤:普段は優柔不断なんですが、その時は「これしかない!」と、一瞬で好きになりました。

山田:私は大学に入った当初、「もうバスケットボールはしたくない。大学生活を満喫したい」と思っていました。それは、異常なまでにバスケットボール中心の生活を送って、好きという純粋な気持ちがなくなってしまったからなんです。
「大差で負けている試合なのに、笑顔でプレーしている中学生は見たことがない」と、強豪高校の監督に引き抜かれて、1年生からレギュラーとして使ってもらいました。とても厳しい指導をする監督でしたが、愛情が感じられましたし、あの3年間があったから人としても成長できたと思っています。
バスケットボールを通して、自己実現や目標設定などたくさんの学びを得たことで満足してしまった。だから、ラクロスに出合ったとき、「こんなに楽しいスポーツがあるんだ!」と、どんどんはまっていって17年ずっとやっています。 内藤さんはセパタクローを始めてから、サッカーとの違いで戸惑ったことはありますか?

内藤:サッカーとセパタクローは足を使う点は同じですが、蹴り方が違うんです。サッカーは基本的に前にボールを蹴り、セパタクローは上に蹴ります。サッカー経験でついた癖があって、最初はなかなかボールを上に蹴ることができなくて苦労しました。でも、ゼロからチャレンジすることが楽しくて、毎日ひたすらボールを蹴っていましたね。

ターニングポイントに出合えた幸せ

山田:私は、「将来ラクロス選手になりたい」って言う子どもに会ったことがなくて、ラクロスを知ってもらうには日本が強くならないといけない、自分も強くならなければと、日本代表になる夢を描くようになりました。
初めて日本代表としてワールドカップに出場したとき、世界との差を痛感して、世界のトップを経験した選手が1人でもいたら日本は強くなるのではと考えるようになりました。そこから、ラクロス先進国であるオーストラリアでチャレンジしたいっていう気持ちが生まれて、日本を強くするためにオーストラリア代表を目指しました。
内藤さんは、日本代表に対してはどのような思いをお持ちですか?

内藤:競技を始めてから1年後の新人戦で優勝してMVPに選ばれたり、アジア競技大会の最終選考に残ったりする度に、両親はすごく喜んでくれました。友達も応援してくれていますし、日本代表として自分の身近な人に喜んでもらえるプレーをしたい、結果を残したいという思いでずっとやってきたんですが、昨年のアジア競技大会から考えが変わりました。
山田さんと同じく、セパタクロー選手になりたいと言う人が増えてほしいですし、タイと同じように、日本でも公園でセパタクローをしている子どもたちがいる風景を見られたらいいなという強い思いを持ってプレーしています。今年度から協会の普及広報委員会のメンバーとして、地方での講演会や競技披露などを行っています。

山田:ラクロスでは、人生で1回しか国を変えられなくて、オーストラリア代表になると日本代表に戻ることはできないんです。オーストラリアに行った2年目までは、何年か武者修行して帰ってこようと思っていました。でも、私一人が「オーストラリアのプレーはこうなんだよ」と言っても、チーム全体に浸透させるのはやっぱり難しかった。
それで、日本代表にはこだわらず、一選手よりも影響力が大きい、世界のトップを知る指揮官として日本に戻りたいと思うようになりました。日本代表には二度となれないけれど、監督になれるチャンスがあるなら自分は変わるべきなんだと考え、日本を強くして子どもたち憧れのスポーツにするためにオーストラリア代表になる決断をしました。

内藤:素晴らしいですね。僕の決断と言えば、大学卒業後の進路選択です。大学3年生のとき仁川でのアジア競技大会に出場して、1勝もできないままあっという間に終わってしまい、「もうこれで辞めてもいいかな」と考えました。元々体育の先生になりたくて日本体育大学に入ったので、その道に進もうと思いました。
それから半年くらい経った頃、1勝もできなかった悔しさが急に湧き上がってきて、「このままでは辞められない」と思い、大学4年生になって、「セパタクローを続ける。体育の先生にはならない」と周囲に自分の気持ちを伝えました。

山田:人生でそういう思いが沸き起こることってなかなかないですよね。アスリートにとって「決断と実行」は、キャリアにおける大きなターニングポイントですね。

内藤:練習の参考にセパタクローの映像を検索すると、どうしても自分が負けたときの映像が出てきます。「何でこのプレーをしてしまったんだろう。この悔しさを持ってやめたら絶対に後悔する。悔しい思いは挽回しないといけない。応援してくれる人にいい姿を見せたい」と思って、続ける決心をしました。

山田:自分の居場所を見つけられている私たちは、とてもラッキーだと思います。アスリートの中には、決断する場面に出合えない人もたくさんいるでしょうし、自分が変わるきっかけに出合えたこと自体が本当に幸せです。

内藤:そうですね。親に反対されて競技生活を続けられなかった選手は何人もいます。僕には背中を押してくれる両親や友達がいるから今日までやってこられたし、これからも続けていけます。

自分らしいハッピーゾーン

山田:スポーツをしていると、集中して周りのものが何も見えなくなる、聞こえなくなる瞬間ってあると思うんですが、そういう“ハッピーゾーン”を体感されたことはありますか?

内藤:昨年のアジア競技大会で、「これは入ったな」と思う瞬間がありました。観客席にいる両親の姿は目に入っていて、父の応援する声もとても良く聞こえているんですが、コートにいることが心地良くて、何でもできる気がしていました。世界2位で格上のミャンマーのチームに負ける気が全くしなくて、まさに、ゾーンに入っている状態でしたね。

山田:私は、プレー中にゾーンに入っていると感じたことはないんですが、普段生活している中ではたくさんあります。先日行われた世界陸上で、十種競技日本代表の右代選手が、結果、出場できたんですが、出場条件に関する認識の違いで、日本陸上競技連盟から出た出場内定が一度、国際陸上競技連盟によって取り消されてしまいました。陸上競技はメジャースポーツなので協会主導なのかもしれませんが、ラクロスではあり得ないことです。必要な情報は必ず全部自分たちで調べますから。
このニュースを聞いたとき、「私はラクロスのことを知りたいと思う瞬間がたくさんある。それは、私にしか感じられない瞬間=ハッピーゾーンなんだ。知識や情報を増やして、どんどん自分で自分の人生に色をつけていきたい、楽しくしていきたい。この生き方が自分らしいんだ」と誇りに思いました。人間って、見たいと思ったものしか見られなくなってしまいますよね。試合以外でも広く競技のことを見る、人生も然りで、立てた目標に到達するための「見たい」は、「あらゆるものを見たい」じゃないと駄目なんだと思います。

マイナースポーツなんてない

山田:今、掲げているチャレンジ目標はありますか?

内藤:一つ一つのプレーのスキルを上げていくことはもちろん、普及活動にも力を入れていきたいですね。勝てば普及できるのかどうかも分からないですが、勝たなければ広まらないだろうし、勝った後のことも考える必要があるでしょうね。
おっしゃったように、いろいろなものを見て、考えて、自分たちが行動していくという気持ちを常に持つこと、さまざまな人を巻き込んでいくことが大事だと思います。

山田:第3回に登場してくださった近賀ゆかりさんも、「ワールドカップで優勝したときメジャーになれるチャンスを逃した。もっと周りを巻き込んで自分たちが行動するべきだった」というお話をされていました。

内藤:やっぱり金メダルを取ったらではなく、取る前からいろいろ考えて準備しておく必要がありますね。

山田:大学院でメジャーとマイナーの定義を研究していたんですが、結局定義はないんです。メディアの露出度なのか、競技人口なのか。女子レスリングの競技人口は800人くらいですけどメジャーですよね。ラクロスは2万人ですよ。マイナーという言い方は好きではないですが、マイナースポーツは競技人口が少ない分、活躍できる機会が増えるメリットがあります。セパタクローもラクロスも、日本ではあまり知られていないだけ。言葉の力に引っぱられてしまう部分もあると思うし、マイナーに代わる新しい言葉を作った方がいいかもしれませんね。

内藤:マイナーと思う自分たちの意識から変えていくことが大事でしょうね。さっきの十種競技の話で言うと、セパタクローの場合、個人でスポンサーを探したり自由に活動できるので、縛られていない分、自分次第でいろいろなチャンスをつかめると思います。

山田:お互い、マイナースポーツという既成概念を打ち破るくらい頑張りましょう!

Message

今回、内藤選手と対談させていただいたことで、私自身初志に戻ることができた気がしています。内藤選手も私同様、大学から新たなスポーツに転向され、その後日本代表にまで上り詰めてこられたこと。日本ではまだまだ認知度が低い競技を子どもたちに伝えることから始め、将来この競技のプロを目指したい!と言ってくれる子どもを増やし、育成したいということ。
競技は違えども、同じフィールドにいる同志とも言える内藤選手の熱い想いに共感しました。そして、日々の忙しさでふと忘れそうになっている私の本来の想いと目標を再確認させてもらうことができ、感謝の気持ちでいっぱいです。
内藤選手、これからも共に頑張っていきましょう!よろしくお願いします!

プロラクロスプレイヤー 山田 幸代


ラクロス界を牽引する山田さんと初めてお話する機会をいただき、とても楽しく貴重な時間を過ごすことができました。山田さんのラクロスに対する情熱や決断力、行動力にとても刺激を受け、改めてセパタクローをもっとたくさんの人に知ってもらい、セパタクロー界を盛り上げていきたいと思いました。
今回のご縁をこれからの競技生活に活かし、「金メダル獲得」そして、その後のセパタクローの発展に全力で取り組んでいきます!!
今後ともラクロス、セパタクローの発展に向けて一緒に頑張っていきましょう!

セパタクロープレイヤー 内藤利貴

地上最速球技といわれるラクロス。棒の先にネットを張ったスティックを操り、直径6cm、重さ150gの硬いゴムボールを奪い合う競技。特 に男子は激しく相手を叩き合い、接触も激しくその迫力に驚かされる。戦略的なパスワークを生かし、シュートにつなげるチームプレイはサッカーにも似ている。今、2028年のロサンゼルスオリンピックに向けたラクロス普及活動が広まり、 ラクロス人口が日本でも増えつつある。

ラクロスの歴史

ラクロスの始まりは、北 米の先 住民が神聖な儀式として部族間の争いを平和的に解決するもの、競技を通して若者の勇気や忍耐力を鍛えるものとして行わ れていた。19世紀にカナダで新しいラクロスのルールが作られ、その後カナダの国技に認定。男子の競技として広まった後、スコットランドで女子ラクロスが始 まり、ラクロスが世界的に広がっていった。

ルール紹介(2018年現在)

男子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • ヘルメッドなどの防具を着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイが可能

女子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • アイガードやマウスピースを着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイは不可
  • 試合開始や再開時はドローという方法をとる

人とつながること、それが不動産業。
人から人へ、架け橋となるような仕事をしたい。
BIRTH代表 / 株式会社髙木ビル代表取締役 髙木秀邦

BIRTH BIRTH

2019年10月 BIRTH LAB(麻布十番髙木ビル1F)にて
Supported by BIRTH 企画・編集:杉山大輔 
ライター:楠田尚美 撮影:稲垣茜

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