山田:セパタクローって、確か2つの言葉がつながっているんですよね。
内藤:はい。マレーシア語で「蹴る」という意味のセパと、タイ語で「籐のボール」という意味のタクローが一緒になった言葉です。
山田:日本に入ってきてからどのくらい経ちますか?
内藤:40年弱くらいだと思います。1989年に日本体育協会主催の国際スポーツフェアで、タイ、マレーシア、インドネシア、シンガポールの4ヶ国を招待してのセパタクロー国際大会が日本で開催されました。これを機に日本セパタクロー協会が設立され、ちょうど今年30周年を迎えました。競技人口はまだ少なくて、協会に登録している人は約2,000人です。
山田:ラクロスの競技人口は公式には約2万人、協会に登録していない人たちも合わせると約3万人います。元々は北米の先住民族が、部族間抗争の平和的な解決のために始めたものなんですが、セパタクローの起源についてはご存知ですか?
内藤:タイとマレーシアでは国技なので、そのどちらかが発祥だと思いますが、はっきりとしたことは分かりません。タイでは学校の授業に組み込まれていたり、公園で遊んでいる子どもをよく見かけますし、特待生制度もあって子どもたち憧れのスポーツです。